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勘違いや言い間違いが多いんだよなぁ・・・

 つい先日の事である。 私の通勤途中に食品を安く売っているスーパーがある。私は仕事の帰りに、そのスーパーで妻に頼まれていた買い物をした。 牛乳やキャベツ、豆腐など食品を数点ほど。金額にして600円ほどだ。お金は私が立て替えた。 家に帰ると妻が「いくらだった?」と聞いたので、「600円だったよ」と答えた。 すると妻が、「じゃあ400円渡すから1,000円札をちょうだい」と言った。私は「OK」と答え、1,000円札を渡す為に財布を取り出した。 だが渡す直前で何かおかしいという事に気付いた。400円を渡して1,000円札をもらうのは妻ではなく私の方ではないかと。そうしないと、私は600円立て替えた上、さらに600円払う事になってしまうのだ。 そこで妻に言った。「逆じゃない?」と。 私に言われて妻も気付き、「あ、ほんとだ」と言って笑いだした。私も可笑しくて笑った。 こういう事、勘違いや言い間違いは誰にでもある。でも頻度の問題だ。妻はその頻度がとても多い。 ある日私の運転で車で出かけた時、交差点手前で妻が「そこを右に曲がって」と言ったので右に曲がったら「右に曲がって、て言ったじゃない!」と、まるで私が間違えたかのように言ってきた。 私は「だから右に曲がったよ」と言うと妻は「あ、そうか。私が言い間違えたんだ」と気付いてくれた。妻は右と左を間違えて言ったのだ。 そういう言い間違いや勘違いがちょくちょくあるけど、理路整然と間違いのない人よりは一緒にいて楽しい。 ただ、その言い間違いが大事な事で、それを私が気付かず鵜呑みにしてしまったら、と考えるとちょっと怖い。 でもその時はその時だ。

物でいっぱいの倉庫で暮らすのは結構大変

 在庫でいっぱいの倉庫のよう 我が家は物で溢れている。でも決して物が散乱し、散らかっているというわけではない。むしろ散らかっているだけなら問題は簡単だ。仕舞えばいいのだから。でも仕舞う場所がない。 我が家の元々の収納スペースは多い方だと思う。途中でかなり追加もしたし。それでも仕舞う場所が無い。物が多すぎるからだ。物が多すぎるから収納しきれないのだ。 収納しきれずに溢れた物で生活に支障が・・・ 我が家は簡単にはベランダに出られない。何故ならベランダに出るドアの前に掃除機やゴミ箱が置いてあり、さらに紙ごみを溜めておく場所になっているからだ。 本来はそんなところに置くべき物ではないけれど、他に置く場所がなく仕方ないのだ。 家の引き出しという引き出しは全て物が目一杯詰め込まれていて、すんなり開かないことがある。でも物が乱雑に入っているわけではない。ただただ量が多いのだ。詰め込み過ぎなのだ。 キッチンシンクの上や下の収納扉、キッチンカウンターの扉、洗面所の下の収納の扉、開けるときは要注意だ。詰め込み過ぎた物が雪崩のように崩れ落ちてくることがしばしばある。 緊張感をもって、そぉーっと開けなければいけない。 いつもこんな感じ。 私が使いやすいよう配置しても、妻がその上にどんどん物を積み重ねて、結局使いづらくなってしまう。だから何か必要な物を取り出すときは一苦労。そんなんだから探し物に時間がかかることかかること・・・ まるで陣取り合戦 何か物を買ったら、それを置くスペースを探すのが大変だ。 私が加湿器をネットで注文し、届く前に置くスペースを空けておいても、妻がいつの間にかそこに違う物を置く。 私は靴が古くなったので処分し、新しい靴を買ってしまおうと思ったら、もうそこには妻の靴が・・・ 妻はきっとジグソーパズルが好きなのだろう。少しでも空いたスペースがあればすぐにそこを物で埋めてしまうのだ。 だから収納や台の上はものの見事に物で埋まっている。 妻は積み木も好きなようだ 空いたスペースが見つからないと今度は上に積み重ねる。その手があったか!と半ば感心してしまう。パズルの次は積み木なのである。 置いてある物の上に物を置く。そしてその上にまた物を積み重ねる。まるで積み木のように。だから下の物を取るときは、いったん上の物をどかして、積み木を崩さないように取らないといけないのだ。 空き...

何について話してるのかわからないよ。主語や目的語がないから

あれ、これ、それならまだいい方 妻は面白いくらいに主語や目的語を言わない。 あれ、これ、とかこの人、あの人などのいわゆる代名詞を使う場合はまだましな方である。 そういう場合、きっと物の名称や人の名前が思い出せなかったのだろう。誰でもあることだ。 でも妻の場合、それさえも省略してしまうことが多いのだ。 例えば一緒に買い物をしている時、妻が「おいしそうだね」とか「かわいくない?」とか話しかけてくるが、妻の目線の先にはたくさんの商品が並んでいる。一体どれのことを言っているのかわからないのだ。わからないのに「そうだね」と適当にあいづちを打ったりしたら大変だ。その話を続けられたり、後でその話をぶり返されたりしたときに困ることになる。 だからいつも「どれの事?」と聞き返すことになる。 いつも思い描いていいるものが違う ある日、妻と一緒にテレビで録りためていた録画のドラマを1話分見終わった時、妻が「続けて見る?」と聞いてきたから「見る」と答えた事があった。私はてっきりそのドラマの続きを見るのだと思っていたら、妻は違う番組に変えたのだ。 妻の頭の中では、“テレビは続けて見るけど番組は違うもの”だったらしい。 「続けて○○(番組名)を見る?」と言ってくれればすんなりわかったのに、目的語である番組名を省略するからこっちは混乱するのだ。 妻が主語や目的語を省略して話しかけてきた時、話の流れや状況から私は「あれの事かな?それともこれの事かな?」と想定して反応するのだが、いつも「違うよ、その事じゃない。○○の事だよ」と言われてしまう。 だから会話がそこでよくつまずき、スムーズに進まない事が多い。 ちゃんと聞き、そして楽しもう そういうわけで、特に話の内容が大事な事であれば「何が?」「誰が?」「何を?」「誰に?」などをちゃんと聞き直しておくようにしている。そうしないでお互い頭の中で違ったものを描いていることに気付かないまま話が進んでしまうと、後で言った言わないの大惨事に発展する可能性もあるからだ。 もちろん妻が何の話なのか主語や目的語を付け加えてくれればいいのだが、それはもう諦めている。過去に何度か、いや何度もお願いしたけど一向に変わらなかったからだ。 だからもう、毎度毎度何について話しているのかクイズだと思って楽しむし様にしている。  

興味がないと子供のように寝てしまう

テレビのいいシーンで寝てる 妻と一緒にテレビを観ていて、いいシーンだなと思って妻に話しかけると反応が無い事が多い。 「おや?」と思って妻を見ると目を閉じて首が傾いている。うとうとしている、あるいはちゃんと眠っているのだ。 そっとしておく事もあるけど、いい場面を見逃さないよう起こしたり、録画の場合は番組が進んでしまうので途中でストップしたりしておく。 「眠いの?」って聞くといつも決まったパターンの答えが返ってくる。 食後であれば「食べ終わったばかりだから」 夜遅い時間帯だと「もう遅い時間だから」 そして寝不足の時は「寝不足だから」と。 ごくごく当たり前のようであるが、あてはまらない時もある。 自分が特に好きな番組の時は、食後であろうが夜遅い時間帯であろうが寝不足だろうが決してうとうとしない。それどころか前のめりになって夢中になって見ているのだ。 つまり眠くなるのは、それほど興味がない番組の時だということがわかる。 興味のあるものには夢中になって、そうでもないものには眠くなる。誰でも多少当てはまる事ではあるが、極端なのだ。 まるで子供のようなのだ。 食後でもなく、夜遅くでもなく、寝不足でもない時でも、それほど興味のない番組の時は寝てしまう。 そんな時に「眠いの?」と声をかけると必ず「寝てないよ!」と強く言い返される。 どう見ても寝ているような時でもだ。 眠たくなるのは悪い事でも恥ずかしい事でもないのに、そして明らかに目を閉じていたのに「寝てない」と言い張るのだ。認めたくなくて意地を張る子供のようで面白い。 話してる最中に寝る 夜寝る前に妻と会話をしていると、いつの間にか妻が寝ている事がある。 眠気には勝てないタイプなのだろう、と当初は思っていたがどうやら少し違うらしい。 私が話す内容に興味がないとすぐに眠くなってしまうのだ。 話しの内容を変えると、さっきまで眠りかけていたのに急に元気になって妻はしゃべりだす。 面白い。まるで子供だ。 まさかと思う場面でも妻は寝る 以前引っ越しする際に不動産屋さんから重要事項の説明を妻と2人で聞いていた時、ふと妻の方を見ると、なんと寝ていたのだ。これには少し驚いたけど、笑えた。 不動産の契約時の説明は、確かにつまらないけど大事な事だからちゃんと聞いておかないといけないものだと思う。なのに寝るなんて・・・凄すぎる。 もちろん妻が一人で説明を...

聞こえてるけど聞いてはいないんだよなぁ、人の話を

話すときは生き生きと、聞くときは上の空 妻は興味のある事には夢中になるが、興味のない事にはまるで無関心である。 これは妻だけでなく、誰にでもあることかもしれない。でも妻は極端である。 興味のある事や日常の出来事は実に楽しそうに話す。 職場での事も愚痴や文句が多いとは言え、生き生きと話す。 でもいざ私が話を始めると、つまり妻が聞く側に周るととたんに会話が成立しなくなることが多い。   会話が成立しないパターン 私が話している時、ちゃんと聞こえてはいるが聞いてはいないというパターンと、全く聞こえてもいないというパターンがある。 聞こえている場合は、「ちゃんと聞いてる?」と尋ねると「聞いてるよ。○○でしょ」と答えるが、内容は頭に入っていない。 聞こえてもいない場合は、私が直前に「明日は雨だって」と話した直後に、妻は「明日の天気は?」と聞いてきたりする。 明日は雨だと言った直後に、である。 私が話している最中なのに、それを遮るように先に結論を言ってしまうこともしばしばだ。まるでクイズの早押し問題に臨んでいるかのようだ。問題を聞き終わらない内に解答してしまう人みたいに。 残念ながらほとんどの場合、私が結論として言おうとしていた事とはまるで違う事を言ってしまうのだが。 私が話している途中で、全く別の話題の話を始めることもよくある。 そういう時は私が話している内容よりも、全く別の事で頭がいっぱいなのだろう。 ダメな事?私にとってはいい事かもしれない もちろんいつもいつもという訳ではないけど、妻が他に何か気になる事がある時は大体そんな感じ。 まるで子供みたいで本当に面白い。  ただ不思議なことに、何か気になる事があったとしても、他の人との会話はちゃんと出来ている。 彼女なりに気を遣っているということだろう。 そして私にはあまり気を遣っていないということだ。まぁそれはそれでいいと思う。 何故なら逆に私が妻の話を聞き流していても、私が辻褄の合わない事を言ったとしても彼女はあまり気にしないし、それを責めたりすることはない。 だからこっちも楽なのだ。 でも大事な話の時はどうするかって? 大丈夫。 「大事な話だよ」と言えばちゃんと聞いてくれるのだ。

物を渡すとき、そっぽを向く不思議な習性

妻が物を渡す時 妻が私にペンを渡す時、妻の視線は渡すペンや受け渡し先である私の手の方を向いていない。 雑誌を私に渡す時も、その視線は雑誌や私の手には向けられていない。 妻が私に何かを渡す時、何故かその顔は明後日の方を向いている。 相手が受け取るまでちゃんと見ていないんだよなぁ。 渡すものを相手に差し出したら、それをちゃんと受け取ろうが落とそうが、後はもう相手にお任せなのだ。 割れ物でも食べ物でもお構いなし 私に料理が載った皿を渡す時も、水が入ったコップを渡す時も、妻の目は皿やコップを見てないし、私の手も見ていない。 皿やコップを持った手を伸ばし、どこか違う方を見ながら私が受け取るのを待っている。 だから私は、皿やコップが落ちないよう、そして中身がこぼれないよう、より気を付けて受け取らなければならない。 普通は受け取る側だけでなく、渡す方も気を付けるんじゃないのかなぁ、と私は思う。 ペンや雑誌なら、例え受け渡しに失敗して落としてしまったとしても大した事はない。 でも皿やコップ、食べ物や飲み物は、落としたら割れるし、散らかるし、飲食物は台無しになるし、床も汚れるし。 でもお構いなしなんだよなぁ・・・ ドアを開けてくれるのはいいけれど 私が荷物を持って手がふさがっている時、親切にも妻はドアを開けてくれる。 そして私を先に通してくれる。有難い。 でもその時妻の顔を見ると、何故かそっぽを向いている。 ドアが私と荷物が十分通れるくらい開けてくれていればいいけれど、たまにそうでない時もある。 その時は荷物がひっかかって、妻が気付いて、ドアをもっと開けてくれる。 でも普通は、ドアをどれくらい開ければ良いかわかると思うし、仮に開け具合が足りなければ通る直前に修正してもっと開けてくれればいいだけだと思うんだけど、妻は私が通るところを見ずにそっぽを向いているから、ドアに荷物が引っかかるまで気付かないのだ。 いつもこんな感じ 妻は感覚の人。いつも「大体こんなもんだろう」でやってしまう。そして確認はほぼしない。 だから妻から物を手渡しで受け取る時は、いつも気を付けなければならない。 物を渡す時、ドアを開けて私を先に通す時、いつもそっぽを向くのは無意識の癖なのだ。 何度か気をつけるように言ったけど、全く直る気配はない。 頭では理解しているのだが、よほど意識しないとできないらしい。 ただ、私以外...

いつもはみ出して置くのな何で?

椅子の上に妻のスマホが置いてあった スマホが椅子の端に置いてあり、少しはみ出している。 ちょっとした振動では落ちないかもしれない。 そのスマホが落ちるような地震も、すぐには起きないだろう。 でもそのスマホが置いてある椅子に誤ってぶつかってしまったら間違いなく床に落ちる。 椅子に置くのはまぁいいとしても、端っこに置くのはどうかと思う。 スマホはデリケートな機械だよ。 シリコンのスマホカバーをしてるからって気を付けなくてもいいわけじゃないと思うけど。 食卓テーブルの上に皿が置いてあった その皿以外にはテーブルの上には何も置いていない。 なのにその皿は端の方にはみ出して置いてある。 皿は空ではなく料理が載っている。 誤ってテーブルにぶつかれば、その振動で間違いなく皿は落ち、料理は床に散らばる。 誤ってはみ出した皿に触れても、間違いなく皿は落ち、料理は床に散らばる。 テーブルに他のものがたくさん置いてあって仕方なくというのならわかる。 がら空きのテーブルなのに何故端っこに、そしてわざわざはみ出して置いているのか。 妻は置いた本人だからわかっているだろうけど、知らない私は危うくはみ出した皿にぶつかるところだった。 あ~、危ない危ない。 キッチンテーブルの上に飲みかけのコーヒーの入ったマグカップが置いてあった 置いたのは妻だ。しかもまた端の方に置き、はみ出している。 中身の入ったマグカップをわざわざテーブルからはみ出して置く人は他に知らない。 マグカップは皿やスマホより高さがあり安定感がないので、より危ない。 どこまではみ出して置けるか、そのギリギリ度合いを競う競技でもしているのだろうか? 毎日こんな感じ 仕掛けられたトラップに注意しながらの生活はスリルがある。 たまになら楽しめるけど、日常生活にはスリルより安心がいい。 時々妻には注意するけど、ほとんど効果がないし、言いすぎると喧嘩になるので大抵は黙って直してる。 半分はもう慣れて諦めたけど、半分はやっぱり気になる。 今でもキッチンテーブルに置いてある電気ケトルは4分の1程度はみ出したまま使っている。